SP Chronicle(1998)

1998

ビリー:31歳頃

’97年末から続く新作のレコーディングは、試行錯誤しながらも順調に進められた。正式なドラマーがいない為、バンドはMatt Cameronの他、Beckのツアードラマー・Joey WaronkeやJohn Fogertyのバンドをサポートしているベテランドラマー・Kenny Aronoffに声をかけるなどしてレコーデイングを行っていった。

2月10日

ジェイムズのファーストソロアルバム『 Let It Come Down 』がリリースされる。ビリーも数曲提供。このアルバムにはMatt Walkerもドラマーとして参加している。

4月

アドアツアーのドラマーとしてKenny Aronoffの参加が決定する。 

レコーディング終了後、ビリーはニューアルバムのジャケットを手掛けたカメラマンであり、彼の恋人でもあったYelena Yemchukとカリブ海で休暇を過ごしたり、Cheap Trickとステージで共演したりと充実した日々を過ごした。

5月

ロンドンでニューシングルのプロモビデオの撮影が行われた。また、新作リリースに先駆けてヨーロッパなど各地でフリーコンサート(シークレットショウ)を行った。ツアーには、ドラマー・Kenny Aronoffの他に、David Bowieのサポートキーボーデイストも務めたMike Garsonや、パーカッションにはTom WaitsのサポートをしていたStephen Hodges、バイオリンなどのマルチ演奏家の女性・Lisa Germanoも参加した。

5月18日

ニューアルバムからのシングル『Ava Adore 』リリース。同時収録曲”Czarina”はYelenaの事を歌った曲だそうだ。

6月2日

Virgin Recordsより4作目のアルバム『 Adore 』がリリースされる。 このアルバムは、彼等がこれまで表現し続けてきたものとは別の、新たな方向を産み出した作品になっている。

6月23日
24日

日本武道館にて1日だけの来日公演。チケットは即日ソールドアウトとなった。翌24日には、八王子工学院大学でシークレットライヴが行われた。

それまでもチャリティショウを行っていた彼等だが、慈善活動をより活発にし、アメリカでチャリティツアーを行う。

8月

ベーシストダーシーが大ファンで参加したDepeche Modeのトリビュートアルバム『 For the Masses 』がリリースされる。 ロンドンBBSで録音された”Never Let Me Down Again”が収録されている。

9月7日

Adoreからのセカンドシングル『 Perfect 』がイギリスで先行リリースされる。シングルはカップリング違いの2枚。この曲のビデオクリップは”1979 “と”Tonight,Tonight”を手掛けたJonathan DaytonとValerie Farris夫婦監督によって制作されている。

9月8日

ビリーが数曲提供し、プロデュースも手掛けたHoleの2ndアルバム” Celebrity Skin “がリリースされる。

アルバム『Adore』は、リリース9週目にはビルボードのTOP40からランクダウン。ビリーはアルバムセールスが伸びないことに失望を感じ始めていた。しかし、このアルバムが「自分達のサウンドの進化の為に必要な物」であるという考えに変わりはなかった。
評論家や世間の「前作の大ヒットアルバム『メロンコリー』はまぐれ当たりだ」という厳しい批判に対し、ビリーは「アメリカではオルタネイティブロックムーブメントが終わろうとしていることを感じ、それゆえにこれまでのパンプキンズの集大成となるアルバムを作った。自分達が作りたかった物は明確であった。」と述べた。そして、まだまだ自分の才能に見切りをつけることはしなかった。 


9月半ば

15都市を巡るチャリティツアーによる収益金(チケット代)の合計が$2,686,973.59となり、これは全て寄付された。

9月24日

「Much Music Video Music Awards」のBest International Videoに”Ava Adore”のビデオクリップがノミネートされた。

10月27日

「VH1 Fashion Awards」のMost Stylish Videoに”Ava Adore”のビデオクリップがノミネートされた。(受賞はJanet Jackson)

11月13日

Adoreからのサードシングル『 Crestfallen 』がリリースされる予定であったが、アルバムのセールス不振が原因となる契約のトラブルが発生し、最終的にリリ-スされないことになった。こういった状況が引き金となり、ビリーはマネージメント会社に対して「考えの相違」を感じるようになり、契約を解消し、あたらしいマネージャーを探すことにした。


アルバム『Adore』のセールスは100万枚と振るわず、スマッシング・パンプキンズはビリー・コーガンのワンマンバンドだというバッシングを受けることになった。しかしながら、ジミーを欠いた状態であったからこそ、彼らは新しい方向へと進まなければならなかったし、そうすることでこれまでの殻を突き破った作品を産み出すことができたのであった。

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