1994
ビリー:27歳頃
オルタナティブロックシーンの筆頭としてPumpkinsと常に比較されていたバンド・Nirvanaのヴォーカリスト、Kurt Cobain(カート・コバーン)が4月に自殺を図ったため、NirvanaがLollapaloozaの出演をキャンセルすることになった。その為、PumpkinsはLollapaloozaのツアーでヘッドライナーを務めることになる。
6月
ビリーのサイドプロジェクトである Starchildren の3度目のショウが行われる。
7月
イギリスでのみ『 Roket 』がシングルとしてリリースされる。
8月
Lollapaloozaのツアー中、Courtney Love(コートニー・ラヴ)からの要請で、彼女がPumpkinsのステージに数回出演することになる。ビリーは、かつての交際相手であったコートニーとこの数回のツアーの間に再び親密な関係となった。
コートニーをステージ出演をさせたことで、オーディエンスのブーイングを受けることもあった。その為彼等は特別なセットリスト(滅多に演奏しない曲を披露するなど)でステージを行った。
9月
Lollapaloozaのツアー終了。ビリーは次回作に2枚組のアルバムをリリースする予定と発表し、レコーデイングに入る。
10月4日
次回作が2枚組になる為、リリースまでに時間がかかることを配慮して、B面やレアトラックを集めた『 Pisces Iscariot 』をリリース。同時にvideo『 Vieuphoria 』をリリース。またGISHのリマスター盤もリリ-スされた。
MTV Video Music Awardsに出演したり、雑誌Spinでは”Artist of the Year”になるなど、The Smashing Pumpkinsは一躍スターダムにのし上がっていった。同じように、彼等が有名になるにつれバッシングも強くなっていった。