1999
ビリー:32歳頃
バンドはマネージャー不在のまま、休暇に入っていた。
新作のレコーディングの見通しもつかないい状態であった。
1月5日
グラミー賞Best Alternative PerformanceにAdoreがノミネートされる。また、ビリーの手掛けたHoleの”Celebrity Skin”がBest Rock Songを受賞した。
1月11日
ビリーの所有するAOLのアカウントがハッキングされる事件がおこり、ビリーの友人・知人に迷惑がかかるという事態に陥った。
1月15日
ドラッグ事件のために解雇されていたジミーが「バンドに復帰した」というニュースがRolling Stoneに掲載される。これについてバンドの正式発表はされなかったが、ジミーはその後の新作のレコーディングやツアーに参加することになり、見事に復帰を果たした。
2月
ビリーは映画 ” Stigmata ” のサウンドトラックの制作のためにスタジオに入る。
3月3月
プリンストン大学音楽史教授であるPeter Jefferyがバンドに対し、1997年のメロンコリーツアー時のショーの騒音の為、耳が聞こえなくなったと主張し訴訟を起こす。
しばらく表立った活動がなかった彼等であったが、ビリーは彼の父と古くからの友人であるチープ・トリックのRick Neilsenとともに、シカゴのMetroで「The First Waltz」というショーを行った。
また、地元のクラブthe Double Doorでジミーの復帰をサポートするためのショーを行うなどして、4月から始まるアメリカ国内のツアーに備えた。
4月
バンドのオフィシャルサイトが立ち上げられる。
4月24日
チャリティーショーによって得られた500万ドルの寄付をする。これは1つの団体が寄付した額としてはもっとも多いものとなった。
6月
ニューアルバムのためレコーディングが始まる。今作のプロデュースもFloodが手掛けることとなる。
7月14日
オフィシャルサイトでビリーとジェイムスとファンとのチャットが行われた。
8月24日
ビリーが全編サウンドを手掛けた映画『 Stigmata 』のサウンドトラックがリリースされる。
9月
オフィシャルサイトへのハッキングやサーバーの問題によってサイトの運営が休止される。これは、この後発表されたダーシーの脱退によるトラブルをさける為という理由も考えられた。
9月9日
ベーシストのダーシーが「女優という新しい分野で活動したい」という理由によりThe Smashing Pumpkinsを脱退する。
10月10日
9ヵ月間のマネ-ジャ-探しの末、Sharon Osbourne(シャロン・オズボーン)がPumpkinsのマネージメントを引き継ぐこととなる。
10月30日
31日
ビリー、ジェイムス、ジミーは障害児のための学校、Bridge School BenefitでNeil Youngが主催するチャリティーアコースティックライブに出演した。
11月24日
ダーシーのかわりのベーシストとしてメリッサ(当時28歳)が加入することが正式発表される。
12月20日
新ベーシスト・メリッサ加入後、初めてのショーがシカゴMetroで行われる。
12月29日
翌年2000年1月7日のヨーロッパツアーに先駆けてアイルランドのダブリンでシークレットショーを行う。
ビリーは、翌年(2000年)2月にリリースされるニューアルバムのタイトルが『 Machina/the Machines of God 』になると発表したが、その新作の内容について多くを語ろうとはしなかった。