1967
3月17日
St. Patricks Dayのこの日、ビリー・コーガンはブルース・ミュージシャンである父親Bill Corgan(ビル・コーガン)とスチュワーデスだったMartha Corgan(マーサ・コーガン)の第一子としてイリノイ州・シカゴに産まれる。
1968-1985
●1968~1975年
両親が離婚。
ビリーは父親と弟・リッキーと暮らすことになる。
父親がペニー・アンデルセンという女性と再婚する。
●1976年(ビリー:9歳)
父親と再婚相手・ペニーの間に、弟、ジェシーが産まれる。
(彼は産まれつき障害を持っていた)
●1978年(ビリー:11歳)
父親がペニーと離婚する。
ビリーは弟、リッキー・9歳、ジェシー・2歳と共に
ペニ-の元で暮らすことになる。
●1981年(ビリー:14歳)
この頃からギターを弾き始めるようになる。
●1985年(ビリー:18歳)
高校を卒業。『Hexen』というバンドをつくる。
1986
ビリー:19歳頃
The Marked というバンドを結成。
当時、シカゴには沢山ゴス・メタルバンドが存在したこともあって家を出て、フロリダに移るが、成功することができず、結局解散。シカゴに戻って父親と暮らすことになった。
1987
ビリー:20歳頃
別なバンドで活躍していた日系3世のジェイムズ・イハ(当時20歳)に出会い、活動を共にする。数週間後、突然ジェイムズが失踪してしまうが、それから2カ月後たったある日ジェイムズから連絡が入り、再び2人はバンド活動をはじめることとなる。こうして「 Smashing Pumpkins 」が結成された。The MarkedのメンバーでもあったRonとともにデモテープを制作し、レコード会社に送るなどして本格的に活動しはじめる。
当時はビリーがベース、ジェイムズがギターを担当、ドラムは打ち込みという構成でライヴ活動をしていた。
1988
ビリー:21歳頃
当時出入りしていたクラブAvalonの外でダーシー・レッキー(当時20歳)に出会う。彼女の風貌と態度を気に入ったビリーは彼女をSmashing Pumpkinsのベーシストとして迎え入れる。
8月10日
Avalon Clubで3ピースのバンドとして活動し始める。
ビリーはこのショウを見ていたJoe Shanahan(Metroのオーナー)に「ドラムマシーンをやめて、ドラマーを加えたらウチのクラブでプレイさせてあげるよ」と告げられ、ドラマーを探しはじめる。
友人の紹介によりジャズバンドでプレイしていたジミー・チェンバーレンに出会う。それまでロックバンドでドラムを叩いた経験のなかったジミーは、ビリーのサウンドに感動し、バンドに加わることになった。
10月5日
the Cabaret Metroにて Smashing Pumpkins が4人のメンバーとなって初めてショウを行う。ほんの少しの出番だったにもかかわらずショウは盛り上がり大成功となる。ビリーは全ての曲を書き、その活動は軌道に乗っていった。
1989
ビリー:22歳頃
地元、HALO Recordsの企画アルバム『Light Into Dark』がリリースされた。秋には『Moon』と名付けられたカセットを売り出した。
9月以降は、シカゴ以外の土地でもショウを行うようになり、バンド活動ははますます活発になっていった。